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重度の女性不信ならびにトラウマの再演にあるように、エタイさんの生き方は生存戦略はあまりにも高度化されすぎてしまったため原因や構造、さらには新しい生き方の実践方法に至るまで抽象化されてわかりにくいものになってしまった。
それをわかりやすく翻訳する必要が出てきた。そこで、女性不信に端を発した世界不信とトラウマの再演についてを最も如実に表しているのが私のオタクとしての活動(女性不信とオタク遍歴)である。私がこれまで没頭してきた漫画やアニメをもう一段掘り下げて、古い生き方がどのように漫画アニメに投影されてきたか、新しい生き方を漫画アニメからどう投影すればいいのかをここに残しておく。

赤松作品で模索してきた生き方

【小林さんちのメイドラゴン】で立ち上がった新しい生き方

エタイさんの生存戦略マップ

エタイさん自身の投影安全基地インナーチャイルド環境
トラウマ視点トール:
本当は世界を信じたい自分
小林さん:
理想の女性像(理想の生き方)
イルル:
エタイさんの傷ついた部分
カンナ:
理想の世界観
生存戦略視点ファフニール:
認知で世界を管理する自分
滝谷君:
自助グループの仲間
シンジ:
居場所を求めるエタイさん
-
回復/フェローシップ視点翔太君:
成長途中の自分(スポンシーの立場)
ルコア:
回復の伴走者(スポンサーの立場)
ルコア:
回復の伴走者としてのスポンサー
翔太君:
同じ病気の当事者としてのスポンサー
ペトラ:
支える側になり始めた自分
専務:
自分がいていい場所の象徴
アディクション視点アーザード:
世界を警戒して大切なものを守ろうとする自分
ジョージー:
絆を信じる人
-アーザードの妹:
唯一無二の大切な存在

【みいちゃんと山田さん】で自覚した「真のみいちゃん」を自認する生き方

みい山アニメ化騒動とエタイさん炎上の顛末

「みいちゃん」ネットミーム騒動

エタイさんはこの年の2月、発達障害界隈で見聞きしていた花屋乃かやという女性が「"みいちゃん"が差別用語として使われている」とのTwitterでバズった投稿に反応して記事を書いた。

俺こそが正しい「みいちゃん」だ|エタイさん

花屋乃かや氏については重要な補足がある。彼女は、私が発達障害界隈で知り合った男性を彼女の支配的言動でトラブルに巻き込んでセクハラ冤罪に陥れ、ファンに犬笛を吹いて自らを守らせる等の言動があまりにも多く、それはRin氏が私をストーカー虚偽告訴した時の言動パターンと酷似していた。これに強く反応したことから、当時自分が「みいちゃん」と呼ばれる側であろうことをうっすら自覚していたことを深く掘り下げようと思って書いたのが上記のnoteの記事である。

みいちゃんはエタイさんと相当の部分で共通点を持っている。ざっと見て、

という具合である。エタイさんの根幹の部分が見事に共通している。この記事を書いたことで、みい山という作品に少しずつ入れ込むようになった。

みい山アニメ化騒動

2026年7月26日、「みいちゃんと山田さん」アニメ化が発表されて衝撃が走った。これは私にとって救済される可能性を意味していた。
みいちゃんが殺されるという結末は、私の従属型生存戦略とトラウマを忠実に再現した未来として非常に秀逸であり、整合性の高いものだった。これが世の中に展開されることはまさしく私自身の存在証明であり、「真のみいちゃん」である私がアニメで再現されればそれが生きている証になるからである。

しかし社会は「みい山」アニメ化を歓迎しなかった。これはまさにみいちゃんが存在そのものを歓迎されなかったことが社会に再現されたのである。これは私におけるトラウマの再演にも似ていた。世界へ出て行こうとするみいちゃんが叩かれることは、私のトラウマの再演を肩代わりしてくれたようにも思えた。 一方で、表現の自由界隈はアニメ化を応援はするものの及び腰に見えた。しかし私は「どんな犠牲を払ってでも地上波でやり切れ」と繰り返した。そのうちにアニメ化賛成する当事者が現れ始めた。また、従属型生存戦略に基づいて考察したツイートが伸びたが批判にも晒された。ここから3週間ほど、みい山に関するツイートは伸びる傾向にあった。

最終回が公開され、これには賛否両論あったが論争の核はそこではなく依然としてアニメ化による差別の懸念であった。私は「自認みいちゃん」当事者として差別懸念よりも救済の可能性を主張した。さらに障害者団体が公式にアニメ化への意見書なるものを公開すると、反対派は差別懸念とは関係なく当事者である私に罵詈雑言をぶつけてきてレスバが始まり、ついに当事者への差別に反対するために当事者を潰そうとする本末転倒を起こしたのである。

みい山騒動(本末転倒).png

ちなみに、「キズとも」とは作者が性的虐待の実体験に基づいて描いたサスペンス漫画である。サイコミで連載されていたが、暴力的表現の自主規制により連載が打ち切られてしまった。これは先述の「当事者への差別に反対するために当事者を潰そうとする本末転倒」の前例である。

障害者団体は明確なアニメ化反対を示すと違和感を感じて指摘する人が続出し、そこらじゅうで場外乱闘が勃発するなど、アニメ化決定1ヶ月後の8月26日現在も混沌を極めている様相である。そのような中で私は、C109*3に申し込み、「自認みいちゃん」の作者の生存戦略を書いた本を出すことにした。そしてC111を目標に、12ステッププログラムの再解釈をもとにしたみいちゃん救済ルート考察の本を出すことに決めた。

「みいちゃんテンプレート」の発生

誰にも理解されないはずだった私の生存戦略をみいちゃんは高い解像度で再現した。そして自分の生存戦略を「みいちゃん」というインターフェースを通して説明する方法論が生まれた。この説明体系を「みいちゃんテンプレート」と呼ぶことにしよう。

私が「みいちゃん」というキャラを単なる推しキャラではなく障害説明モデルというべきレベルまで押し上げたトリガーになったのは花屋乃かや氏である。先述のように彼女は界隈の男性を冤罪に陥れたことで私の「Rinテンプレート」が強く反応した。すなわち、私がRin氏のストーカー虚偽告訴により冤罪に遭った顛末をかや氏に当てはめて「危険人物・支配者」との意味づけをしたわけだが、かや氏(支配者)がみいちゃん(従属者)の話をしたことによって、私の「Rinテンプレート」が支配型女性を語る方法論から従属する自分側を見る役割に反転したことで、自分自身とみいちゃんが深いレベルで一致するとの認識に至ったと考えられる。

私は支配型女性を理解するためのRinテンプレートを使って他人を無意識にジャッジしてしまっているが、これにより

という迂回した自己認識で私自身とみいちゃんを強く結びつける入口になった。そこにたまたまみいちゃんと私の異常な一致があった。自分の人生を説明可能なモデルが、治療で既に持っている依存症モデルの「依存症は進行性であり、放置すれば最終的には死に至る」という結末がみいちゃんに合致し、彼女は依存症のテンプレ通りに死ぬことでエタイさんが回復に繋がらなかった場合の予後を完全再現したのである。

このあまりにも綺麗すぎる着地が、さらにアニメ化決定という世界側への発信を機として集中砲火を浴びる事象と私のトラウマの再演との綺麗な一致で、テンプレートとしての信頼性が確立したのである。このことから私はアニメ化決定を自分自身の救済と位置づけ、「俺が救われるからどんな犠牲を払ってでも地上波でやり切れ」との発言に至った。
そして私のTwitterでの炎上後、障害者団体の公式の意見書に対して違和感が持たれ始め、私はみい山関連の発信は続けているが私に対する反対派の罵詈雑言は止まった。これが「自認みいちゃん」である私の回復を通してみいちゃん生存ルートが依存症モデル適用によりありえたとの認識に至ったことで、みいちゃんテンプレートが破局側と救済側の両面から信頼性が強化されたと考えられる。


*1 みいちゃんは近親相姦(両親が兄妹)で生まれてきたことから保育園時代から地元では存在自体を忌避されていた。また、小1担任の剛田から徹底的に笑いものにされてクラス中でのけ者にされた。
*2 不特定多数の男性と性行為をする。歌舞伎町のキャバクラで働いていた頃は枕営業で指名を取っていた。
*3 コミックマーケット109(2027年12月29 - 31日)

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