エタイさんの問題行動はクロスアディクションで構成されている。性依存症・恋愛依存症・摂食障害の3種類だが、その問題は複雑に絡み合っていて一筋縄ではいかない。また、発達障害が凹凸差50オーバーという希少なケースであり、問題行動の構造が一般的なアディクトと異なる傾向にある。よって対処や治療が特殊にならざるを得なくなる傾向が強く、このWikiを使う選択もそれが色濃く出ている。
表層上で最も問題となったのが女子トイレの覗きである。問題行動の蜜月期は小3 - 小4の1年強で、ターゲットは自分の知らない女子(女性)である。トイレだった理由は小2のころにクラスの女子の粗相を目撃して性癖が決定したことによる。
小1の頃にチックで鼻をほじることとASDの傾向が災いして女子から嫌悪の目で見られ、席替えで隣になった女子に泣かれる等、自我が芽生える前のまだ狭い世界観で不特定多数から存在自体を拒絶される「象徴的暴力」に遭った。このため、汚物扱いが小学校6年間デフォになっていて、自分は「モノ以下」の汚物であることを突きつけられた。ここから入れる保険があるんですか?と言うほかないほど手遅れの傷つきを6歳で経験した。
その苦しみから脱出する出口戦略が覗きだった。認知の歪みの過程として、まず自分の存在を認めて欲しい欲求が根底にあるが、私自身の存在自体が絶対悪であることを植え付けられているため、自分は女性の前に存在してはいけなかった。よって女性とコミュニケーションを取るには、自分が女性の前から消えることが絶対条件だった。
女性と接触せずにーーー必然的に女性の目の前から消えて(一方的に)関わる方法は、決定した性癖からいって必然的に「覗き」だった。つまり覗きは私にとって女性と(一方的に)コミュニケーションを取る唯一の手段だった。それが悪いことだとはなんとなく知っていたが、女性の前に自分が存在することが私にとって最も悪いことであると(誤って)学習したため、悪いことを是正する方法は必然的に女性の前から消えることだという理屈になった。「最も悪いことを完全に是正した結果が覗き」であるため罪悪感は生まれない。幼少期にプリインストールされた生存戦略なのでこれは現在も同様である。
これは善悪の知識の話ではなく行動原理の話であるため、性教育で矯正することは不可能である。事実、性教育で知識はついたが何の役にも立たなかった。性教育は性加害抑止にはまったくの無力である。
人間扱いされるためにはまず、自分が「モノ以下」から「モノ」に昇格しなければならなかった。なので、既に「モノ以下」として私を扱う層はターゲットから必然的に外れることになった。汚物からモノ扱いへ昇格するためのコミュニケーションの場所を開拓するため、ターゲットは違う学年であることが多かった。
覗き全般は7回バレている。
ただし警察の世話になったのは補導の1度だけで逮捕歴はない。
小中では何度もバレたので、認知の歪みの強化が始まった。最重要課題は「汚物に戻らない」ことであった。よってまず形から合法性を確保する必要があり、覗きがトイレから下着や音にシフトした。そして軽犯罪法第1条23号に該当しなければ良いことを覚えて野ション覗きに移行した。これなら逆にターゲットが同26号に抵触することも判明して一石二鳥であり、大学時代から10年以上耽溺していた。
しかしこの理屈は2014年11月に崩壊した。キャンプ場で放尿マニアが逮捕された事件で罪状が建造物侵入容疑を適用されてしまった。警察の反則技と某おしっこ漫画家の「クズだな」発言のコンボにより汚物に戻る恐怖を感じた私は、野ション覗き引退を余儀なくされた。
なお、盗撮をやったことはない。道具を使用することは合法性の探求に反することと、ブツを手元に残すことを目的にするのはそもそもコミュニケーションではないからである。
性遍歴が初っ端からいきなり性犯罪であり動機が自身の存在の安寧の獲得であることからして、性に目覚める前の段階で性行動の逸脱が常態化しており、小学生時代のエロ本立ち読みスポット探索も自分自身の存在確認の旅として機能していた。マスターベーションを覚えたのは高2である。
性に目覚めるプロセスと性行動が逸脱するプロセスが完全に逆転しているため、アダルトコンテンツやマスターベーションで性的渇望(性的衝動)が起きない。そのため、SA*1の定義する「最初の1杯*2=マスターベーション」が私には適用できない。通常、性依存症はメインの問題行動に至る前段階の準備行動を「最初の1杯」と定義してそこにブレーキをかけることをコーピングとするが、私の問題行動の動機は性欲ベースではなく愛情飢餓ベースのため、性行動の制約はまったく意味をなさない。特定の性行動を避けるコーピングが事実上不可能である。
よって、トリガーを特定するところからして深層のトラウマにアクセスしなければならない。
相手を「モノ化」して「支配」するには、そもそも幼少期に他人と正常にコミュニケーションを取れる成功体験で自己肯定感を育んだ原体験が一定のレベルで必要である。しかし私は、6歳(発達障害のため精神年齢はもっと低い)の段階で人間どころかモノですらない扱いを受けたため、自我の芽生えを潰されてしまった。最初から「自分」がないので自我を持った他人と正常にコミュニケーションを取ることが無理筋である。
「モノですらない=支配する価値すらない」扱いだったことから、支配すらされなかった故に他者を支配する思考パターンが形成されなかった。よって「男らしさ」のジェンダーロールに囚われる土壌すら育たなかったため、ホモソーシャルの土俵に立つ資格が与えられなかった。そのため行動原理は「従属する=自分から他者に支配されることで存在否定を回避する」ことにより自分がモノ以下にならないように守ることに尽きる。
したがって、加害者であるにもかかわらず加害行為で自分から被害者に支配される(従属する)ことによって「モノ」に昇格しようとする。根底にある動機が一貫して女性から人間扱いされるための従属である。
性奴隷という言葉があるが、それとは逆で加害者である私のほうが常に被害者の奴隷である。これは一般的な性暴力における傾向とはまったく真逆のレアケースである。
一般社会はこのような性加害者を想定していないため、斉藤章佳さんのような専門家や性犯罪からの更生施設、再犯防止プログラム等ではそもそもアプローチが間違っているので回復できない。
12ステップ自助グループの括りでもおそらくSAですら想定されていない。SCAでも想定されていないであろう点は変わらないが、SCAはセクシュアルマイノリティが立ち上げた歴史的経緯から「認知的マイノリティ」である私と親和性が高く柔軟な対応が可能であると理解している。
深層下で最も深刻な問題として居座る感情の暴走である。表層上の問題(覗き)が目立ったためにSCAをホームグループとしているが、私の問題の本質は寧ろここにあると言っていい。すなわち恋愛依存症ベースの渇望がまずあり、そこから覗きや摂食障害の問題に繋がっている。そして性依存症のメインの問題行動が実は恋愛依存症の「最初の1杯」となっていて相互作用している節がある。実際、大学時代以降の覗きの耽溺においては、覗きから始まる出会いがきっとあると夢見ていた。エロゲかよ。いやエロゲやったことないけど。
初恋は小1の頃で2人に対してだったが、前述の原体験の通りで汚物扱いだったため相手にもされなかった。片思いすら成立しなかった。
実質的な初恋は小5の頃である。転校生の女子で、私に関する情報がまっさらだったことで汚物扱いはされなかったが、絶望的に運動音痴で足が極端に遅い特徴があった。「不適応な部分を持つ/リハウスしてきてこちらの情報がない」といった安全性のラベルがついた相手のプールの着替えで全裸が見えてしまった経験を通して、愛情飢餓と性的刺激が恋愛的な意味合いを持つようになった。有り体に言えば恋愛依存のスイッチが形成された。繋がるはずのない「覗き」と「恋愛」が1本の線で繋がってしまった。